編集記事

須磨区

須磨歴史さんぽ

記事 須磨歴史さんぽのアイキャッチ画像

(上)西尾家住宅

3月25日(水)、西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)など須磨の近代歴史遺産を神戸女子大学 ミュージアム部の学生が案内する「須磨歴史さんぽ」が行われ、約30人が参加した。 (主催/須磨区役所 協力/神戸女子大学)

明治〜大正〜昭和と、須磨の近現代史に深く関わる歴史遺産を、神戸女子大学ミュージアム部の学生が案内しながらめぐるイベントが初開催された。同部は今年度、同好会から部に昇格。学芸員資格の取得を目指す史学科の学生を中心に、約20人のメンバーで博物館・美術館のサポーター活動などに取り組んでいる。

集合場所となったのは県指定重要有形文化財に登録されている西尾家住宅。神戸の貿易商・西尾類蔵の邸宅として大正8年に建設された。約1万㎡の広大な敷地内には洋館、日本庭園、茶室が現存する。洋館は当時まだめずらしかった白タイルの外壁にいぶし銀の和瓦の屋根という外観。設計を手掛けたのは、初代通天閣の建築にも携わった建築家・設楽貞雄で、大正ロマンが漂うこの邸宅には、類蔵と交流のあった政財界の要人や華族、国外からも客人が訪れた。
邸宅内には波がモチ―フの照明、須磨の海やカモメをモチーフとしたステンドグラスなど自然の風景が随所に取り入れられている。参加者は深紅のカーペットが敷かれた階段やテレビドラマの撮影現場となった部屋などで記念撮影を楽しんでいた。

続いて須磨離宮公園へ。前身は西本願寺の門主・大谷光瑞所有の月見山別邸を宮内省が買収し、大正3年に天皇陛下の宿泊を主目的として建てられた「武庫離宮」。大正天皇、皇太子時代の昭和天皇、さらにはラストエンペラーとして知られる清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)も訪れた。神戸大空襲によって御殿は焼失したが、正門門柱、石積、塀、中門などは当初の建造物が現存している。

離宮道を通り、西須磨小学校へ。大正8年、大正天皇が統監し武庫離宮を大本営として行われた陸軍特別大演習の際、統監部附武官として参加した皇太子(のちの昭和天皇)が西須磨小学校(当時は須磨尋常高等小学校)に滞在した記録が残っている。この日のために離宮道と旧西国街道との交差点には奉迎門が建てられ、全校児童が離宮道の両側に整列して、馬車で武庫離宮に入る大正天皇を迎えた。校庭には現在も「今上天皇在東宮駐駕記念碑」が残されている。

南に下り天神橋へ。昭和46年に廃線となったが、橋の上には神戸市電須磨線が通っていた。須磨の近代化に貢献した天神橋は、兵庫県近代化遺産に指定されている。その南には須磨の別荘地開発の草分けとなった住友家の別邸跡がある。昭和20年6月の空襲で洋館の大部分が灰燼に帰したが、館内には黒田清輝やクロード・モネなどの数々の名画が飾られていた。

最後に旧和田岬灯台へ。明治5年に初点灯、当初は兵庫区和田岬にあった。八角形木造の3層構造で外面は白色に塗装されていた。その後、明治17年に六角形鉄製に改築。昭和38年に現在地に移設された。国登録有形文化財で通常は11月1日の灯台の日に近い土日(どちらか1日)のみ入場可能だが、この日は特別に中に入り2階も見学できた。

参加者は「西須磨小学校出身です。地元にこんなに素敵な所が残っていたことを知れてよかったです」と話した。 案内した学生は「さまざまな文献を元に、多面的に事実確認をしながら案内文を作成しました。特に情報が少ない事柄は国立国会図書館のデジタルアーカイブも参考にしました」と念入りに準備したことを明かした。


離宮道を移動中


天神橋を案内

カテゴリー