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未来につなぐ!神戸大空襲の跡地を巡りながら学ぼう

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11月24日(月・祝)、神戸駅から生田神社にかけて「神戸 平和マップ」を片手に、神戸大空襲の跡地を巡りながら平和について学ぶイベント「未来につなぐ!神戸大空襲の跡地を巡りながら学ぼう」が開催され、約30人が参加した。(主催/コープ自然派Fブロック 協力/神戸空襲を記録する会)

講師を務めたのは「神戸空襲を記録する会」事務局長の小城智子さん。元教師の小城さんは、退職後の2012年から同会のメンバーや元教師仲間と協力し、市内の戦跡をまとめた「神戸 平和マップ」や、戦災者の思いを聞き取り記録する活動を行っている。

神戸駅北側の戦災復興記念碑前からスタートし、まず神戸大空襲の概要を説明。神戸へ最初に空襲があったのは太平洋戦争開戦の5カ月後、1942年4月。その後、1945年2月には長田区、兵庫区にあった造船所や車両工場などを狙った空襲があり、終戦までの間に何度となく空襲があったという。特に被害が大きかったのが3月17日の夜間焼夷弾空襲、5月11日の川西航空機の工場(東灘)を襲った爆撃、野坂昭如の「火垂るの墓」にも出てくる6月5日の焼夷弾空襲だったと言われている。混乱の中で正確な数字は未だ不明で、死者は合計約8千人近く、多くの家屋は焼失し焼け野原となった。

湊川神社は3月17日の空襲により本殿が焼失した。仏画作家の豊田和子さんは西側にあった大きな防火水槽に逃げこみ、助かったという。大倉山公園には「神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑」があり、神戸空襲犠牲者の名前が刻まれている。現在も2年に1度新たに分かった犠牲者の名前が刻銘され続けている。6月に「神戸空襲死者のお名前を読む集い」の開催が決まっており、現在判明している2267人の名前を読み上げるボランティアを募集している。大倉山周辺の兵庫区荒田町は被害が酷い地域で、外壁しか残っていない病院の写真がある。

八宮神社には空襲で被災したイチョウや石灯籠が残っている。神社は3月17日の空襲で全焼。昭和9年生まれの宮司は当時集団疎開で神戸を離れており、3日後に帰ってきた時にまだ燻ぶっていたことを記憶していた。今も神社の敷石には焼夷弾の跡が見られる。
日本基督教団神戸教会、兵庫県公館、生田神社の戦跡も巡った。

西区から参加の髙橋直行さんは「祖父の妹が空襲前に疎開したと聞いていた。当時のことに触れられてよかった」と話した。
イベントを企画をしたバーク木下華苗さんは「たくさんの方に関心を持っていただいてうれしかったです。今日のことを参加者の方がまた広げていただけたらと思います」と話した。小城さんは「戦争を知って、未来に向けてどう動けるかを考えてほしいです」と呼びかけた。

◆神戸空襲を記録する会(神戸学生青年センター内)
TEL 891・3018
ホームページはコチラ→https://ksyc.jp/kobe-kuusyuu/

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