編集記事

その他の地域

〈県政150周年 特別講演会〉 兵庫県のはじまり

県政150周年を迎え特別記念講演会「兵庫県のはじまり」が3月16日(土)兵庫勤労市民センター 講習室(兵庫区羽坂通)にて開催され50人定員のところ70人を超す申し込みがあり、兵庫県の成り立ちについて学ぼうと大勢が参加した。

 

講師の伏谷聡さん

上田薫館長

講師は同志社大学日本語 ・日本文化教育センター非常勤講師の伏谷聡さん。同センターの上田薫館長が直接講演を依頼したという。  慶応4年( 明治元年)5月23日(西暦1868年7月12日)に兵庫県が設置され150年がたつ。これは「第1次兵庫県」と呼ばれ、最初の兵庫県知事は維新の元勲として知られる伊藤博文。伏谷さんは明治初頭に伊藤博文が部下の東条慶次に送った書状などをもとに設置当時の兵庫県の成り立ちを、行政を中心に解説した。(書状は、史料として県政資料館に保管されている)

 

書状の内容は、当時大阪府仮知事だった小松帯刀の依頼を受け大阪府に辞令が出ていた伊藤の元部下・岩下佐次右衛門の着任意志を尋ねることを、東条に依頼したというもの。その書状が書かれた日付と登場人物それぞれの関係などを史料から読み解くなど、古文書の読み方の難しさについても語った。  鳥羽伏見の戦い(慶応4年)以降、湊川から西宮の海岸防備が必要となり、岡山藩兵と外国兵とが衝突した「神戸事件」などの混乱も重なり、治安を維持する目的から明治初期の地方軍政機関である「鎮台」が神戸におかれ、後に「兵庫裁判所」に改称し、東久世通禧(みちとみ)が総督となる。(当時の裁判所は外国事務と民生事務を取り扱う行政機関で、現在の意味での裁判所とは異なる)その後、同年3月には醍醐忠順が大阪府裁判所と兵庫裁判所の総督を兼任する。

史料から読み解くと兵庫裁判所は大阪府に合併される可能性があったと思われ、後の同7月には大阪港の開港となるが、当時は大阪の資本が大きく伊藤博文が木戸孝允に宛てた書状には「大阪港が開港すれば同じ府県で2つの港は必要なく大阪港開港なら神戸港を廃止する」という内容が書かれている。県立の経緯は大阪の支配と神戸港廃止を免れ大阪府に1港、神戸に1港とする必要から「兵庫県」が立県したと読み取れる。

 

同5月、「兵庫裁判所」は「兵庫県」(第1次)と改称。その後明治4年7月、廃藩置県により県域の整理を開始し摂津西部5郡を管地とする、「第2次兵庫県」となり、明治9年8月には県域各郡を統合しほぼ現在の県域となった。(第3次兵庫県)

伏谷さんは、明治初年の兵庫の自然村図(当時の幕府領、大名領などの分布図)を示し「兵庫県」の推移を説明した。 最後に、「本日の講座を聞いて少しでも『兵庫県のはじまり』を感じ取って頂けたらうれしい」と締めくくった。

カテゴリー