歴史講座「北須磨の歴史探検」
9月7日(土)、花谷地域福祉センター(須磨区中落合)にて歴史講座「北須磨の歴史探検」が開催された。(主催/神戸市、花谷ふれあいのまちづくり協議会)
講師は長年須磨で歴史のイベントを行っている須磨歴史倶楽部の西海淳二さん。歴史に興味がある参加者33人が須磨の妙法寺、車、白川の歴史について熱心に耳を傾けた。
まずは、地名のいわれや須磨を構成していた村についての話があった。それぞれ諸説あるが、「須磨」は畿内の西の端という意味の「隅(すみ)っこ」がなまって「すま」になったといわれている。「車」は御所車を作る職業の氏族、車持君(くるまもちのきみ)が住んでおり、水車があったことから。「白川」は1500万年前の古神戸湖の岸辺にあり、化石が出る凝灰岩が多く、伊川の水が白く濁ることから名付けられたといわれている。江戸時代の須磨には9村あり、西須磨・東須磨・大手・板宿・口妙法寺・奥妙法寺(二村は明治5年合併=妙法寺村)・車・白川・多井畑で構成されていた。
次に北須磨にある歴史名所の紹介。妙法寺(如意山妙法寺、通称・毘沙門山妙法寺)は738年に行基が開基した須磨区最古の寺院で、本尊の木造毘沙門天立像は国指定重要文化財。平清盛が福原に遷都した際には本尊が同じ毘沙門天である京都の鞍馬寺との関係から、高倉天皇が都を護る霊場として新鞍馬という名前を与えた。毎年1月3日に五穀豊穣、除災招福、無病息災を祈願するため行われる追儺式が有名。面をつけ、松明を持ち、ほら貝と太鼓に合わせて本堂の回廊を舞う。この松明は竹を切ったものが使用される。黒鬼が子鬼を連れて伊勢参りする様子を表現しているといわれている。
妙法寺の子院として1315年頃創設された明光寺は大正時代に住職が萩を植樹。現在15種500株ほど植えられ、9月頃には萩の花が咲き誇り、萩の寺としても知られている。
車の大歳神社では村人たちによって受け継がれてきた翁舞が重要無形民俗文化財・芸能として伝承されている。毎年1月14日にご神体の神面を用い舞うことで、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈願する。神面をつけている間は神になっているといわれている。現在の一般的な翁舞は3部構成であるのに対し、同神社では4部構成で、全国的にも極めてめずらしく、平成16年に皇居で執り行われた天皇陛下(現上皇陛下)古希奉祝行事で奉納された。
最後は妙法寺・車での石炭坑について。1857年頃の開坑以来、唐津産に匹敵する良質な石炭600トンを採炭していた。奥妙法寺村では1日150人が働き、旧国鉄鷹取工場はこの石炭をあてに設立されたという。現在でも4カ所の石炭坑跡をみることができる。
神戸市看護大学の1年生、森さんは「翁舞の神面をつけている時は神となっているというお話が興味深かった。熱心な男性参加者が多いことにも気付いた」と話した。同大学では地元創成を牽引できるような看護職の育成を目指して、実習として地域の活動や催しへ参加し、地元で生活する人々に関わる試みを行っている。生活の実態や健康状態、および健康に関する価値観を知るとともに、生活環境と健康との関連を考えるのが目的。
灘区から講座に参加した赤松弘毅さんは「歴史は好きでさまざまな歴史講座に参加することもあるが、ほとんど初めて知ったことばかりで興味深かった。皇居で翁舞を奉納したことがある話には驚いた。満足度が高い講座だった」と笑顔を見せた。
須磨歴史西海淳二さんと赤松弘毅さん