〈須磨区歴史講演会〉明治150年記念講演 「鈴木商店と須磨」
2月10日(日)須磨区役所(須磨区大黒町)で、須磨区歴史講演会、明治150年記念講演「鈴木商店と須磨」が開催され、明治初期に神戸で創業した幻の総合商社「鈴木商店」の飛躍から破綻に至る半世紀に及ぶ波乱の歴史に迫った。 講師/小宮由次さん(鈴木商店記念館編集副委員長)
〈講師の小宮由次さん〉
最初に福本富夫須磨区長から須磨区の説明があった。須磨区は昭和6年に発足した。「須磨村」「須磨町」を経て、神戸市に編入すべきか、しないべきかの意見が分かれたが、大正9年に神戸市に編入してからは、人口も増え発展した。
鈴木商店は、神戸港の開港まもない明治7年に神戸で洋糖商として創業。樟脳事業への進出を機に大きく飛躍し、80社を超える一大コンツェルンを形成。大正期には日本一の年商を誇った。一方で、あまりの急成長ぶりに妬みを買い、米騒動の際には米の買い占めを噂され、本店が焼き打ちにあう。その後も昭和恐慌、関東大震災が苦境に拍車をかけ、昭和2年に破綻。「お家さん」と呼ばれた女主人鈴木よねは、須磨離宮公園の南側に四千坪の土地の邸宅を建てた。また、大番頭の金子直吉は、一の谷に別荘を構えるなど、須磨とのゆかりが深い。
演劇「彼の男 十字路に身を置かんとす」には、金子直吉がいかに鈴木商店を斬新なアイデアで急成長させたかがわかりやすく描かれている。また桂尾山勝福寺(須磨区大手町)は摂津国88箇所霊場の第87番札所だが、境内には四国88箇所巡りができるという山伝いのコースがあり88体の石仏が寄進されている。その第71番札所の、石仏の台座には「施主 鈴木よね 家内安全」と刻まれている。小宮さんは「みなさんも一度立ち寄って見てください」と締めくくった。
参加者の70代男性は「銀行勤務時代に住んでいた社宅が、よね邸跡だと知りました。とても大きな邸宅だったとわかった」と関心をしめした。広報すまを見て参加したという40代女性は「須磨がゆかりの地だと知った」と話した。70代女性は「鈴木よねさんの援助によってできた神戸女子商業の卒業生です。明治生まれの父は鈴木商店で働いていたので今日はとても懐かしい気持ちになりました」と目を細めた。