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垂水区

連続講座「こうべ考古学」発掘された垂水・西区の歴史

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2月25日(土)神戸市埋蔵文化財センター(西区糀台)で講座「発掘された垂水・西区の歴史」が行われ、定員を超える90人が参加した。
主催/神戸市文化スポーツ局文化財課 神戸市埋蔵文化財センター
昨年7月から始まった同センターの学芸員による連続講座「こうべ考古学」の第7回目であり、この日が最終回となった。当日の担当は加納大誉さん。講座のはじめに文化財とは今日まで守り伝えられてきた貴重な国民の財産であると話があった。続いて西区の歴史について。一人ひとりに資料が手渡され、またスクリーンの映像も使って講座が進められた。西区は昭和57年に垂水区から分区し誕生。西区の遺跡は主に明石川、櫨谷川、伊川流域に分布している。最も古いものは、明石川流域の雄岡山・雌岡山の麓で後期旧石器時代の石器が採取されており、拍子ヶ池などの遺跡から、サヌカイト製国府型ナイフ形石器などが見つかっている。縄文時代の遺跡である元住吉山遺跡や、弥生時代では近畿地方最古の吉田遺跡など重要な遺跡が知られている。天王山古墳群など古墳も多く、竪穴建物跡や集落も見つかっている。平安時代の遺跡としては、平氏との関係がうかがえる二ツ谷遺跡や、平安中期の梵鐘鋳造遺構が見つかった白水遺跡などがある。端谷城は衣笠氏の居城で、戦国時代に織田信長と家臣羽柴秀吉が三木の別所長治を攻めた際、別所方に付き三木城と一緒に落城。城跡が万福寺の境内に残っていると話した。西神ニュータウン内で身近に見ることのできる遺跡やバスでのアクセス方法などの説明もあった。
垂水区は大部分が海によって作られた階段状の地形で、遺跡は海岸沿いや小河川沿いのみに存在すると説明。大歳山古墳は明石海峡を望む高台の遺跡で、4世紀後半に造られたと考えられている前方後円墳。昭和49年に遺跡公園となっており、公園内に竪穴式住居の集落が復元されている。大歳山古墳からは小型青銅鏡や勾玉や管玉などが採取され、同センター内の展示室にも竪穴式住居の模型と発掘された本物の土器を展示しているので見てほしいと加納さんは話した。
垂水駅前の垂水日向遺跡からは、平安時代〜鎌倉時代にかけての堀立柱建物や井戸などが出土しており、荘園の経営に関連する建物が存在した可能性が考えられている。レバンテ垂水1番館では出土した資料を常時展示している。
五色塚古墳は兵庫県内最大の前方後円墳。全長194mあり、おおよそ野球場ほどの大きさ。江戸時代にもさまざまな人物が訪れており、絵や文章にも登場する有名な古墳である。昭和30年代後半に五色塚古墳を守ろうと文化財広報委員会(現在の文化庁)のもと、神戸市と地域の協力を得て、昭和40年から10年かけて発掘調査が行われた。推定で2200個の円筒埴輪が並んでいたとされる。埴輪の土の成分が明石市の古墳などと同じだと判明、分析の結果で葺石は淡路島から運ばれたことも分かった。最後にJR舞子駅近くの明石藩舞子台場遺跡についての解説があった。幕末に明石海峡と紀淡海峡の防備を固めるため幕府の命で築造された軍事施設で、1863年から翌年にかけ、勝海舟の指導のもとに築かれたと話した。
加納さんは「毎回大変多くの皆様に講座に参加頂きありがたいです。来年の連続講座も神戸市についてのシリーズものができたらと考えています」と話した。

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