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西区

自閉症のピアニスト 末近功也さん

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西区伊川谷町有瀬に住む末近功也さん(24歳)は自閉症スペクトラム障害をもつピアニスト。「Kohya Suechika」としてステージに立つ。言葉の遅れ、色々なこだわり、コミュニケーションが難しいなど社会的ハンデを抱えながら、言葉の代わりにピアノで自己を表現し、独特の感性で聴衆を魅了している。

功也さんは2歳のとき、自閉スペクトラム症と診断された。自宅でピアノ教室を開いている母親の百合子さんと父親の良浩さん、4歳上の姉の4人家族で育った。小さい頃から音楽が大好きで、幼稚園年長のとき、友だちがピアニカで弾く「かえるのうた」を聞いて、1本指でピアノを弾き始めたという。小学2年生の終わり頃、百合子さんがよく弾いていたショパンのスケルツォ2番を演奏。難曲を一緒に弾き出したことに驚いた百合子さんは小学3年生から功也さんをピアノ教室に通わせることに決めたと話す。
小学6年生のとき震災復興演奏会に参加し、さまざまな障がいをもつピアニストの仲間と出会い、多くのコンサートに参加するようになった。中学3年生時には「国際障害者ピアノフェスティバルウィーン大会」自由曲・発達障害部門で金賞を受賞。阪神昆陽特別支援学校高等部時代には「兵庫県学生ピアノコンクール」高校生の部で銅賞を2年連続受賞した。アメリカで行われた「日本・メキシコ・アメリカ・ジョイントコンサート」、台湾で行われた「台日ジョイントコンサート」にも参加。功也さんはピアノの力を借りてコンクールや演奏会などに積極的に挑戦し、充実した学生生活を送った。

高校卒業後、航空会社でデータ入力の仕事に就き一人暮らしを始める。しかし1年後、ストレスからパニック障害を発症し、聴覚過敏も再発、歩行も困難となり退職。けれどもピアノへの想いは強く、国内のコンサート、2018年8月にはメキシコでのコンサートにも参加した。ところが同年10月、転換性障害からまったく歩けなくなり、聴覚過敏もさらに悪化、ノイズキャンセリング付きのヘッドフォンが手放せない状態になった。

両親が何とか聴覚過敏をくい止める手立てはないものかと考えていたとき、神戸にストリートピアノが設置され始めた。大好きなピアノがあれば、ヘッドフォンを外せるかもしれないと2019年5月、デュオ神戸に出向く。ざわついた街中で果たしてヘッドフォンを外して弾けるのかと両親が固唾をのんで見守る中、何度もためらった末、思いきってヘッドフォンを外し4曲披露、観客から温かい拍手をもらった。それから新神戸駅などの神戸ストリートピアノ巡りが始まり、大型ショッピングモールでのレギュラー演奏にも結びつく。

2020年3月、またもや困難が降りかかる。新型コロナウイルス感染症の影響で神戸ストリートピアノはすべて閉鎖。百合子さんが弾く場所がなくなって困っているとフェイスブックに書いたところ、芦屋の三田谷治療教育院の飯塚由美子理事長(当時)から声がかかり、月に一度演奏会を開くことになった。6月にはストリートピアノが再開。ストリートピアノを通じて「歩けるようになりたい!」との強い気持ちも起こり、同年10月、ついに車椅子生活に終止符を打った。翌年2月、姉が里帰り出産し、約1カ月赤ちゃんと暮らしたことで聴覚過敏も克服できた。

功也さんの歩んできた道のりを百合子さんは「ピアノがくれた希望~2年間の車椅子生活、パニックを乗り越えて~」と題した講演会で伝え、演奏会を開いている。百合子さんの吹くオカリナと合奏も披露した。百合子さんは「私たち夫妻はこれまで功也の好きなこと、ワクワクすることを一緒にやってきた。これからも心配しないで応援していきたい」と話す。両親は「社会とつながり、安心して過ごせる環境のなかで、大好きなピアノがそこにあってほしい」と願っている。

好奇心旺盛な功也さんの好きなことは英語、旅行、パソコン、料理。家族の昼と夜の食事を担当している。聴く力に長け、パソコンの入力速度は一般人の3倍の速さを誇り、気に入った洋楽をパソコンで楽譜を作る。功也さんの今の夢は、アメリカやイギリスのコンサートやストリートピアノで演奏することだという。功也さんの大好きなマイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチー「We are the World」、リスト「ラ・カンパネラ」など、「Kohya Suechika」の繊細で力強いピアノ演奏が多くの人たちの心に届くよう、心と体を整えながら、一歩ずつ挑戦は続く。


母親の百合子さんと功也さん

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