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須磨区

須磨区歴史講演会

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12月20日(月)須磨パティオ健康館パティオホール(須磨区中落合)で「須磨区歴史講演会」が開かれた。(主催/神戸市須磨区)

須磨区では須磨の豊かな歴史資源と魅力を広く知ってもらおうと歴史講演会を毎年開催している。1931年(昭和6年)に須磨区が発足し今年は区制90周年の節目を記念して、園田学園女子大学名誉教授および県立兵庫津ミュージアム名誉館長の田辺眞人(まこと)さんを講師に迎え「須磨の地名と伝説から」をテーマに講演会が催された。

昔から語り継がれてきた民話には時代や場所が不特定のまま自由に語られてきた昔話と、特定の場所である時代に起きたとされる伝説に分類される。伝説は土地に根付いているので歴史として伝わるという。「神戸の中でも須磨は伝説の宝庫。街角にたくさんの伝説が眠っている」と話す田辺さんは須磨区内の地名にまつわる数々の伝説を語った。
一番古い時代の話として「白川の高座岩」を挙げた。高御座山(たかみくらやま)には東西に雄高座(おこうざ)と雌高座(めこうざ)という2つの岩がある。雄高座の頂上は平らで深いくぼみには水が溜まっており「寿命水」と呼ばれている。この水で体を洗うと疱瘡(ほうそう)が治ったり、岩に17日間籠って祈ると子どもを授かるという伝説があるという。
901年(昌泰4年)菅原道真が大宰府に左遷され九州に向かう途中、今の板宿辺りで休まれた時に土地の人々が板囲いの宿を作ってもてなしたことから「板宿」という地名が付き、西須磨の浜辺では漁師たちが網を引く綱を巻いて座席を作り休ませたことから「綱敷天満宮」がこの地に創建された。また菅原道真が京都で育てていた松が後を追って板宿まで空を飛んでやってきたので「飛松」など、菅原道真の通過にまつわる伝説が須磨には点在する。 ほかには勝福寺のはじまりと伝えられている「鹿松峠の鬼人」や「松風村雨堂」、また多井畑・奥畑・布施畑など地名に「畑」が付く理由や、宅地開発されるまでは白川峠が日本有数の化石の産地だった理由など、田辺さんの詳しく分かりやすい語りに参加者たちは興味津々に聴き入っていた。

須磨区南落合から参加した垂井和子さんは「須磨区に住んでいるけど知らない話が多かった。須磨の歴史や地名のいわれなど興味深かったです」と感想を話した。同講演会は先着順の受付だったがすぐに定員に達し、関心の高さがうかがえた。須磨区役所まちづくり課の堀江龍一さんは「地名の由来を知り、昔を想像しながら魅力的な須磨のまちを好きになってもらえたらうれしいです」と語った。

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