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須磨区

須磨区歴史講演会

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須磨区役所では須磨の豊かな歴史資源と魅力を広く知ってもらおうと、毎年「須磨区歴史講演会」を開催している。
今年は1920年(大正9年)4月1日に須磨区の前身である武庫郡須磨町が、神戸市に編入されて100年目になる節目の年。日本近代史、歴史資料学専門で神戸大学大学院人文学研究科の奥村弘教授を講師に迎え「神戸市編入100周年記念講演会」として開催。須磨町が神戸市に編入した際の歴史的経緯や、時代とともに移り変わった神戸・須磨の歴史を振り返った。令和元年度は新型コロナウイルス感染症の影響を受け開催を見送った経緯もあり、今年度は新型コロナ対策として9月に須磨区役所で少人数による公開収録を行い、収録動画を区役所とパティオホールで全5回、定員各50人の上映会という形式で実施している。

奥村教授は「須磨の近代を考える中で、もう一度西摂にあるこの地域のことを大きく捉えたい」とあいさつ。須磨のもつ多様な歴史の中で地域を捉えるには大事な3つの視点が前提にあると切り出した。1点目は「境」であり、「港」であることが、古代以来、西摂(西摂津)という地域を考える際に全体の中で重要な意味をもっていること。2点目は、尼崎藩領から幕府領になり、武士不在の中、町人や百姓が地域を運営していたという特殊性。3点目は、小さな県として生まれた兵庫県が貿易を担うために明治9年に大きな兵庫県となり、多くの石高をもって、国際港湾都市である神戸を支え、須磨の地域の人々も大きな社会変動を経験していったと伝えた。その上で、幕末に生まれた町人や百姓が地域を運営する組合村システムが、明治維新以降引き継がれ、板宿村庄屋の武井善左衛門をはじめとする地域のリーダーが村の戸長を勤めるなど、新たな地域社会を形成していく背景や過程を詳細に説明した。

1889年(明治22年)市制町村制の施行により、神戸市、そして、八部郡須磨村が発足。その直後から神戸市への編入の動きがあるも、神戸市側の反対により実現せず、1912年(明治45年)須磨村が町制施行して須磨町となり、1920年(大正9年)に神戸市に編入するまでの歴史的経緯等を伝えた。

おわりに「百耕資料館」(須磨区板宿町)を紹介。須磨町板宿地区の旧家である武井家が所蔵する古文書などの歴史資料により板宿の歴史が学べる常設展や、多数の美術資料を紹介する企画展が行われていることを伝え、「今一度地域を見直すことをしていただければありがたい」と約1時間半にわたる講演会を締めくくった。

須磨区横尾から参加した藤野英介さん(39歳)は「兵庫県がなぜこれほど大きいのか疑問だったが港と関係があったことが分かり面白かった。明治維新以降について、もっと知らなければ」と感想を話した。まちづくり課の元村優介さんは「須磨区は源平合戦など多くの歴史ある場所。神戸市に編入して100年というこのタイミングで、須磨区がどのように誕生し、現在があるかを知っていただく機会になれば」と話していた。

※次回上映会予定
日時/1月16日(土)午後2時~3時半
会場/パティオホール
申込受付/1月15日(金)まで
定員/50人(先着順)
申込先/神戸市事業・イベント案内センター TEL(333)3372
※須磨町神戸市編入100周年記念誌「須磨のあゆみ」は須磨区役所、北須磨支所などで配布中。
須磨区ホームページでも閲覧可能。「須磨町 100年記念誌」で検索。

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