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西神戸歴史探訪バスツアー「戦国のお城探訪」

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11月23日(土)神戸市埋蔵文化財センター(西区糀台)を出発し三木合戦ゆかりの城跡を巡る、西神戸歴史探訪バスツアー「戦国のお城探訪」が開催され、抽選で選ばれた親子や夫婦連れなど40人が参加した。 主催/神戸市教育委員会事務局文化財課埋蔵文化財係

同センターは「西区地域学」として、貴重な歴史資源が数多く残る西区やその周辺を巡る歴史探訪ツアーを企画し毎年11月に開催している。14回目となるこの日は神戸にもいくつか残る戦国時代に築かれた山城や砦跡の中から、天正6年(1578年)から8年にかけて羽柴(豊臣)秀吉と三木城主・別所長治の間で繰り広げられた三木合戦ゆかりの城跡にスポットをあてた。山の地形を利用した曲輪・郭 (くるわ)や土塁(どるい)、堀切(ほりきり)や竪堀(たてぼり)が残る「戦いのための城・守りのための城」を探訪した。

同センターに集合した参加者は2台のバスに乗り込み、まず三木城の支城を担った神戸市指定史跡「端谷城址」(西区櫨谷町)へ。三の丸跡に建つ満福寺から標高140mの丘陵上に位置する「本丸跡」まで歩き、前山敏弘自治会長から端谷城について説明を受けた。バスツアーに同行する同センターの斎木巌学芸員は、調査の際、本丸の物見台の横に当時の土蔵と考えられるせんれつ建物が見つかり、中から13領以上の甲(よろい)が出土したと解説。参加者から驚きの声があがった。

その後、羽柴秀吉が得意とした兵糧攻めで落城した国指定史跡「三木城跡」(三木市上野丸町)へ。三木城主の別所長治公夫妻の首塚に参り、二の丸跡に建つ三木市立みき歴史資料館を見学。同館の金松誠主任から、三木城を取り囲むように織田方が築いた複数の付城や土塁を表した三木合戦模型や合戦軍図、地下に埋められていた食料貯蔵の備前焼大甕などの説明を受けた。1年10カ月に及ぶ三木合戦について詳しく学び、昼食後は金松主任とともに本丸跡にある別所長治公像や辞世の句碑、伝天守台やかんかん井戸などを歩いた。

三木城跡を後にし、秀吉の本陣跡である国指定史跡「平井山ノ上付城跡」(三木市平井・与呂木・志染町)へ。今も北側斜面には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が多く現存。横を通り抜けながら3方を土塁で囲んだ「主郭」まで太閤道と呼ばれる秀吉ゆかりの山道を歩いて登り、全員で三木城跡を望んだ。下山後、平井山の麓に祀られている三木合戦の陣中に病死した秀吉の軍師・竹中半兵衛の墓所へ参り、別所方の兵糧供給の一翼を担った「淡河城址」(北区淡河町)でツアーの締めくくりとなった。

一眼レフを携え夫婦で参加した片山博郷さん(垂水区中道)は「専門家の話を聞きながら歴史を学べる機会は滅多にないのでありがたかった。友人を連れて、ぜひこの感動をわかちあいたい」と満足顔。吉永有輝くん(井吹東小5年)は「現地を歩いて歴史を感じることができた」、弟の旬輝くん(同小3年)は「城跡がたくさんみれてよかった」と目を輝かせ「歴史に興味をもった」と声を揃えた。

※せんれつ建物…「塼(せん)」と呼ばれるタイルを外壁に並べた建物。

※主郭…3方を土塁で囲んだ当本陣の中で最も主要な曲輪(くるわ)。その城の最も重要な場所を主郭(しゅかく)という。

※曲輪…本丸や二の丸など城を構成する区画のこと。郭とも書く。

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